東京地方裁判所 平成元年(ワ)4925号 判決 1991年1月29日
原告
三浦和義
被告
株式会社産業経済新聞社
右代表者代表取締役
植田新也
右訴訟代理人弁護士
石塚文彦
主文
一 被告は原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和六三年一〇月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを五分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
四 この判決は仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、朝日新聞東京本社版紙上に、別紙謝罪広告第一記載の謝罪広告(以下「本件謝罪広告」という。)を、同別紙第二記載の掲載条件で一回掲載せよ。
2 被告は、原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和六三年一〇月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 右2につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 被告は、日刊新聞の発行等を目的とする株式会社であるが、被告が発行する日刊紙「サンケイスポーツ」(以下「サンケイスポーツ」という。)昭和六三年一〇月二二日付け紙面(七版・二〇面)において、次のような内容の原告に関する記事(以下「本件記事」という。)を掲載し、これを販売した。
タイトル 「三浦動揺、初めてみせた弱気」
サブタイトル 「食事つかえがち、異常にノド渇く」
リード部分 「ロス疑惑の中核、一美さん銃撃事件で警視庁に逮捕された三浦和義(四一)が二十一日、はじめて弱気になった。動作全体がにぶく、食事もつかえがちという」
本文記述部分 「しきりに『ノドが渇く』と水を要求したり、唇をなめ、つばを飲みこんでは小さな声で、途切れ途切れに取調べに応じている」
2 本件記事はその読者をしてあたかも原告が真犯人であるかのように思わしめるものであり、被告は右行為によって、故意又は過失により原告の名誉を毀損した。
3 被告は、右名誉毀損行為により、原告に対し多大の精神的苦痛を与えた。原告が受けた精神的苦痛を慰謝するためには少なくとも金五〇〇万円の慰謝料が相当であり、また原告の毀損された名誉を回復するためには本件謝罪広告掲載の措置が必要である。
4 よって原告は被告に対し、不法行為(名誉毀損)による損害賠償請求権に基づき、(一)本件謝罪広告を一回掲載すること並びに(二)金五〇〇万円及びこれに対する本件不法行為の日である昭和六三年一〇月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2ないし3は争う。本件記事中「しきりに『ノドが渇く』と水を要求したり、唇をなめ、つばを飲みこんでは小さな声で、途切れ途切れに取調べに応じている」との記載によっては、原告の社会的評価が毀損されることはない。
三 抗弁
1 違法性阻却
(一) 本件記事は、いわゆる「ロス疑惑」としてマスコミに取りげられ、世間の耳目を集めた「一美さん銃撃事件」(原告の妻一美が昭和五六年一一月一八日にロサンゼルスで何者かに銃撃され、死亡した事件)につき、原告が昭和六三年一〇月二〇日殺人事件の被疑者として警視庁に逮捕され、同日東京拘置所(原告は、いわゆる「一美さん殴打事件」(前記一美が昭和五六年八月一三日にロサンゼルスで何者かに殴打され、負傷した事件)による殺人未遂罪で起訴され、同拘置所に勾留されていた。)から警視庁の留置場に移送された機会に、今後の見通しと原告の動静を読者に知らしめることを目的として掲載したものであって、被告の行為は公共の利害に関する事実に係り、もっぱら公益を図る目的に出たものである。
(二) そして、本件記事の内容中事実を摘示した部分はいずれも真実であるから、被告の行為には違法性がない。
2 真実と信ずべき相当の理由
本件記事の内容である事実が仮に真実でないとしても、本件記事を取材執筆した、被告の「サンケイスポーツ」文化部只野栄一記者(以下「只野記者」という。)は、原告が逮捕された翌日である昭和六三年一〇月二一日午後、警視庁に赴き、捜査一課の複数の係官から取材した結果、本件記事の内容に副う情報を得たものであり、被告はこれを真実と信じたものであって、本件記事の内容である事実が真実であると信ずるについて相当の理由があったものというべきであるから、原告の主張する名誉毀損につき、被告に故意過失はなく、不法行為責任を負うものではない。
四 抗弁に対する認否及び反論
抗弁事実はいずれも争う。
原告は、前記「一美さん銃撃事件」について終始一貫して無実であることを主張しているものであり、再度逮捕されたからといって動揺したことも、弱気になったことも一切ないし、途切れ途切れに取調べに応じていた事実もない。また、原告は昭和六三年一〇月二〇日に逮捕され、同月二六日までの間、一度として食事をしていないのであって、食事がつかえがちになるはずがないし、原告は同月二〇日、二一日の取調を受けている時に、水を求めたことは一切ないのであって、異常にノドが渇いたこともない。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二同2は、右の事実により明らかである。
被告は、「しきりに『ノドが渇く』と水を要求したり、唇をなめ、つばを飲みこんでは小さな声で、途切れ途切れに取調べに応じている」との記載によっては原告の社会的評価が毀損されることはないと主張する。
しかし、新聞記事の内容が人の名誉を毀損するかどうかについては、その記事の一部だけを取り出して個別に判断すべきものではなく、一般の読者がその記事を読んだ際に、当該記事全体から通常受けると思われる印象にしたがって判断すべきものと解するのが相当であるところ、本件記事中「しきりに『ノドが渇く』と水を要求したり、唇をなめ、つばを飲みこんでは小さな声で、途切れ途切れに取調べに応じている」との部分も他の部分とともに全体としてみれば、一般の読者に対し、原告が前記「一美さん銃撃事件」の真犯人であるとの印象を抱かせるものであり、このような記事は原告に対する社会的評価を低下させるものであるというべきである。被告の右主張は採用することができない。
三抗弁について
一般に新聞記事が人の名誉を毀損することがあったとしても、その記事が公共の利害に関する事実に係り、もっぱら公益を図る目的に出た場合において、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、右行為には違法性がなく、また、右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実であると信ずるについて相当の理由があるときは、右行為には故意又は過失がなく、結局不法行為は成立しないと解すべきである。そこで、被告主張の抗弁について検討する。
1 抗弁1(違法性阻却)について
(一) 証人只野栄一の証言(以下「只野証言」という。)中には、本件記事の内容は只野記者が警視庁捜査一課の複数の係官の発言に基づいて取材執筆したものであるとの証言部分があるが、これだけでは伝聞に過ぎず、他に客観的裏付けがない以上、本件記事の真実性を認める証拠としては十分でない。
(二) のみならず、原告本人尋問の結果によれば、
(1) 原告は前記「一美さん銃撃事件」について終始無実であることを主張し、昭和六三年一〇月二〇日に逮捕された後も黙秘を続けており、小さな声で途切れ途切れにも取調べに応じた事実はなかったこと
(2) 原告は昭和六三年一〇月二〇日に逮捕されてから同月二六日までの間、一度も食事をしていないこと
(3) 原告は昭和六三年一〇月二〇日、二一日の取調を受けている際に、飲み水を求めたことなどはなく、異常にのどが渇いたような事実もなかったこと
がうかがわれ、このことに照らすと、本件記事の内容である事実はその大半が真実であると認めることはできないのであり、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
よって、その余の点について検討するまでもなく、抗弁1は理由がない。
2 抗弁2(真実と信ずべき相当の理由)について
(一) 只野証言によれば、只野記者は原告が逮捕された翌日である昭和六三年一〇月二一日の夕方、警視庁捜査一課の複数の係官から取材し、その談話をもとにして本件記事を執筆したものであり、かつ右記事の内容については被告の産経新聞の警視庁記者クラブの記者にも確認したから、本件記事の内容である事実は真実であると信じたというのである。
(二) しかしながら、右只野証言は取材源の秘匿を理由に、自己が取材したとする係官の氏名を明らかにしていないところ、同証言によれば、只野記者は右係官が具体的に原告の取調にどの程度関与した者かについて把握しておらず、同人が真実どのような取材をしたのかについて、取材したとする談話の具体的な内容もきわめて不明確であるほか、同人は右取材内容について格別裏付取材もしていないことがうかがわれる。
(三) 以上の事情によれば、只野記者が警視庁の係官から取材したことをもって本件記事の内容である事実が真実であると信ずるにつき相当の理由があったと認めることはできない。また、只野記者が被告の産経新聞の警視庁記者クラブの記者に確認したとしても、これをもって本件記事の内容である事実が真実であると信ずるにつき相当の理由があったとすることはできない。他に右相当の理由があったと認めるに足りる証拠はない。
よって、抗弁2も理由がない。
四請求原因3について
前記のとおり、被告は本件記事の掲載と同掲載紙の販売により、原告の名誉を毀損したものと認められるところ、本件記事の内容、同記事の掲載紙である「サンケイスポーツ」は発行部数の多い日刊紙で、その社会一般に与える影響の大きいこと、原告は前記「一美さん殴打事件」の一審で有罪判決を受け控訴中の身であるとともに、原告は前記「一美さん銃撃事件」でも起訴されていること(以上は公知の事実である。)、その他本件に現れた一切の事情を総合をすると、原告が右名誉毀損により受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては金一〇〇万円が相当であると認められる。
なお、原告は謝罪広告の掲載も求めているが、原告に、生じた損害の回復方法としては右慰謝料の支払を受けることをもって足りると解するのが相当であるから、右謝罪広告の請求は理由がない。
五結論
以上の事実によれば、原告の本訴請求は、不法行為の損害賠償請求として金一〇〇万円の支払及びこれに対する本件不法行為の日(本件記事掲載の日)である昭和六三年一〇月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官小川英明 裁判官小林崇 裁判官松田俊哉)
別紙謝罪広告<省略>